【造幣局・桜の通り抜け(沿革)】

造幣局の所在地であるこの辺りは、昔から景勝の地として名高く、春は桜、夏は涼み船、秋は月など四季折々のにぎわいを見せ、特に春の桜は有名で、対岸を桜ノ宮と呼ぶにふさわしく、この地一帯に桜が咲き乱れていたといわれています。

造幣局の桜は、明治の初めに藤堂藩の蔵屋敷(泉布観の北側)から移植され、品種が多いばかりでなく、他では見られない珍しい里桜が集められていました。

明治16年、当時の造幣局長遠藤謹助の「局員だけの花見ではもったいない。大阪市民と共に楽しもうではないか」との発案で、満開時の数日間構内川岸560mを開放して一方通行による通り抜けが始まりました。以来124年桜を愛する人々の協力に支えられ今に続く花の里であります。

桜の通り抜けは、戦時中一時中止した事もありましたが、昭和22年に再開され、同26年からは夜桜も始まり、現在では大阪の年中行事の一つとなっています。

(上記文章は…[桜の通り抜け]パンフレット・2007年版より)

造幣局

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